西行寺(さいぎょうじ)
そこは幽明(ゆうめい)が最も曖昧(あいまい)な場所

西行寺
その一族は最も幽明に近き者


西行寺に古き桜ありけり
神木(みき)にはならずや
近寄らば生者(せいじゃ)は必滅(ひつめつ)す
故に誰(たれ)も世話するものおらず
されど木は枯れず
徒(いたずら)に育ち
花弁に触るるば死するのみ
彼(か)の桜 西行妖(さいぎょうあやかし)と言ふ

西行寺に幼子(おさなご)生まれり
彼の桜に寄れども死せず
花弁は幼子を避けりけり
故に幼子 生き仏として崇められり

されど幼子触るるに能(あた)わず
幼子寄らば死するのみ
生きながら死に 死にながら生きゆ
故に幼子 幽々子(ゆゆこ)と言はれ
この世の者とは思えぬ 美しい娘に育ちけり

願わくば 花の下にて 春散らん その如月の 望月の頃……
※もし願いがかなうならば
 春、桜の花の咲く下で死にたいものだ
 あの釈迦が死になさった2月15日の頃に

そう言って死んだのは西行法師
彼が死んだのはこの桜の下
彼が死んでこの桜が妖となったか
桜の妖力で彼が死んだか
今となっては定かではない
だが、一つだけいえるのは
幽々子が居れば桜は大人しくなる
唯、それだけである


西行寺に人が寄り付かなくなり十年に等しい
桜に寄らば死ぬばかり
娘に触るるも死ぬばかり
いつしか動物も寄らなくなった

西行寺のものが定期的に食料などは
置いておいてくれるので飢え死ぬ事は無く
定期的故、会うことも無い
寂しかった
悔しかった
たった十年なのに長かった
人も動物も、触れれば死ぬ
虫だけは平気らしく
蝶が春先に飛ぶのが唯一の楽しみだった

「あ、蝶……」

蝶が飛ぶ、桜も八部咲き
見るだけならば美しい風景である
しかし、見ただけで逝(ゆ)ける風景でもある
この季節、最も幽明境が曖昧になる

「ほかの人にも見せてあげたいくらいね……」

己(おの)が能力(ちから)で死ねず
死ぬ勇気もあらず

「あら、まだ人が居たのね」

一瞬の空白
幽々子にはこの女性(ひと)には見覚えは無い
紫色の服に布の傘
金色の髪は滑らかな波を描いて腰まである
正に、人外の美

「あなたは誰?  誰も招いてないはずなんだけど?」

そういって数歩退く
これ以上自分の能力で人を殺したくなかった

「人に名前を尋ねる場合は自分から名乗るのが礼儀じゃないかしら?」

それは道理ではある

「勝手に入ってきた泥棒とかにも礼を重んじるべきなのかしら?」

それもそうね、と女性が相槌を打つ
その間にも数歩下がる
しかし、下がりすぎた
女性の周りには死桜の瓣(はなびら)

「あら、綺麗ね
 花弁が屋敷の中まで入ってくるなんて」

暢気(のんき)な口調で避ける気配すら見せない

気がついたら飛び出していた

「危ない!」

死に誘(いざな)う瓣を振り払い、名も名乗らぬ者の前に立つ
武器は扇子(せんす)、一振りで複数を振り払うことができる

「名は聞かずにおきましょう
 無断に屋敷に入ったことも不問にしましょう
 だから、すぐに立ち去りなさい!」

焦っていたが口調は丁寧だ
大丈夫、この人を逃がすくらいはできる

「大丈夫よ」

諭すように言われたその言葉に振り向く
そこに見えたのは沢山の裂目さけめサケメ……

「死へ誘う瓣とは云え、燃やされれば意味が無いでしょう?」

裂目から光が飛び出す
飛び出た光は瓣を次々と消し飛ばす
しかし、一枚か二枚は消せずに襲い掛かる
そして、触れる

「!」

幽々子は息を呑む
しかし、顔に張り付いた花弁を鬱陶しそうに手で払う

「覚えておくがいいわ、西行の妖怪桜よ
 【切る】、【潰す】、【貫く】……
 どの行為が欠けても私を殺すことはできないわ」

云い終わると同時にサケメも消える
あるのは風と西行妖がざわめく音
西行寺幽々子と八雲紫の邂逅(かいこう)である


月日は流れ、幽々子が無闇に殺すことがなくなった
それは紫が力の指向性を、扱う術を教えたからである
しかし、力がないものは幽々子から漏れる力だけで死に至る
それは、紫という友達が居ても苦痛だった


「私には理解しかねるわね」
「そうかしら?」
「ええ、私なら私に関わり無いものがいくら往こうが気にはならないもの」

そうね、と呟き
西行妖を見上げた
紫に力の扱い方を習った故に自分の力の限界も見えた
見えたからこそ、やるべきなのだと思う

「でも、手伝ってくれるのでしょう?」

「ええ、そうね……」

「幽々子が本当に願うなら」

「私は全力であなたの力になるわ」

皮肉にも
決行日は
如月望月──


「私の札で西行妖は殺せる
 けれど、気を抜けばすぐに甦る」 「だから私が封印する
 幽々子が全力を以(もっ)て西行妖を殺している間に
 幽々子ごとこの付近一帯を」

それは、この付近一帯が冥界と化すことを意味する
現世から隔絶されれば、寄れども死すことは無い
屋敷や桜、その他すべてが消え、後に残るは荒野

見上げれば月
雲ひとつも無い快晴の空にぽっかりと浮かぶ
見事なまでに青い月
その月明かりに照らされて
西行妖が美しく舞い散る

「ねぇ、紫」
「何かしら?」
「冥土の土産に聞かせてくれるかしら?」
「何を?」
「私が若(も)し生まれ変わっても、友達のままでいてくれる?」

「嫌よ」
「え……」

答えに驚きが含まれる
紫はだってと付け加え

「生まれ変わったら──」


また、西行妖は甦るだろう
そもそも、幽々子を要石とした結界なのだ
それは、後にここに住まうもの達を殺すのと同意

「また、あなたが苦しむのよ?」

「そうね……ありがとう、紫
 あなた、最高の友達よ」

「そうそう、化けて出た場合は友達のままでいてあげるわ
 あなたが覚えていたらね?」

二人は笑った
一頻(ひとしき)り笑った後
幽々子と紫は札を構えた

「……死符『永久(とこしえ)への誘(いざな)い』!」

木がざわめく
花弁が舞い散り、墨染めの幹が音を立てて軋む
それは最後の抵抗か
西行妖と言う巨木が揺れる
しかし、幽々子が手を触れている部分から
まるですり抜けるように西行妖に入り込んでいく

「……さようなら、幽々子
 境符『幽明理(ゆうめいのことわり)』」

幽々子の姿が消え、西行妖が枯れた……いや、『死んだ』瞬間
花弁が舞っていた場所そのものが現世から消えた

消して泣くことなど無いと思っていた
だが、今だけは
今だけは泣いて良い気がした
死ぬことは無いだろうけど
生涯、泣くことが無いよう
今だけ、泣いておこう────


「紫様、今年も咲かぬ桜の花見ですか?」

式の妖狐が尋ねる
内容は聞くまでもなくわかっている
子煩悩のこの式のことだきっと式の式がらみに違いない

「橙が流石に飽き始めているので、他の所にいきませんか?」

やっぱり、という問いだった
妥協点は考えてある

「今日は、一人で行こうと思うから
 あなた達は好きなところに行きなさい」
「え、よろしいのですか?」
「ええ、藍はお弁当を用意してくれれば
 今日は自由になさい」
「はぁ、左様でございますか」

そっけなく答えているが、嬉しいのが丸わかりだ
九つある尻尾が微妙に震えてるのが本人は気づいてないらしい
しかし、手早く弁当を作り終えて
すぐどこか行ってしまうのはどうだろうか
まぁ、今日は大目に見てあげようと思う


「白玉楼(はくぎょくろう)の一番上にできるなんて驚きよね」

冥界の白玉楼といえば桜で有名(?)である
花見をするにはちょうど良い
博麗神社もそこそこだが、ここには勝てまい
しかし、この階段……長すぎる

「桜の名所はどこもかしこも階段が多いわねぇ……」

博麗神社も然(しか)り
桜の本数に比例して長くなっている
という藍の説もあながち間違いじゃない気がしてくるほどに

到着
いつも風呂敷を広げてその上でお弁当を食べていたが
いつも広げてくれる式がいないので屋敷で食べることにした

「屋敷からでも遠くないからねぇ…」

とはいえ距離は6尺はある
それでも大きいと感じれるほど、西行妖は巨木であった

スキマを広げ、弁当箱を取り出す
弁当箱をあける
と言うか並べる
なぜか紫の分も重箱弁当だった

「ん〜小食じゃないけど、この量はちょっと無理ね……」
「なら、私ももらって良いかしら?」

不意に
後ろから
声がかかった

その声はとても懐かしく感じた

「ゆ……」

振り向いた
服装は変わっていたが
そこにいたのは西行寺幽々子だった

「あ、始めまして
 私、幽々子って言うの
 あなたは?」

その言葉に落胆をぬぐえない
でも、名前を覚えている
ならば──

「私は紫よ……
 そうね、一緒に花見なんてどう?
 咲かない桜なんだけどね──」

もう泣かないと誓ったのに
涙が溢れて止まらない
約束は破ろう
覚えて無くても、私達は友達である──と

───終


───去

「ぐすっ」
「泣いているのですか?小町」
「感動の場面じゃないですかー」
「これは必然なのですよ
 彼女に罪があるとすれば、それは幻でしかない」

遠く、空から鎌を持った女性と卒塔婆を持った少女がいた

「幻……ですか?」
「そう、幻──
 桜は罪を吸いますが、あの桜は別でした
 その桜を死後の世界へと移したのです
 その功績は評価しなければなりません
 更に、彼女は生きることを罪とし生きてきた
 十二分に断罪はすんでいるのですよ」

故に魂だけ、結界と切り離した
要石となる肉体と、代わりになる力を残して

「さて、休憩時刻は終わりのようですよ」
「う、了解でーす」

少女はあの世の裁判室へと 女性は三途の川へと

───了